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terre thaemlitz writings
執筆

ミッドタウン120ブルーズ
DJスプリンクルズ
 
- テーリ・テムリッツ


Originally posted on comatonse.com August 2008. Accompanying text to the album of the same name (Japan: Mule Musiq, 8/2008), MMD7. Terre originally planned to write a much longer text analyzing the deep house scenes of yore and today, but Mule Musiq refused to allow more than a 2-panel CD booklet (and were actually against the inclusion of Japanese text as well). Paintings by Laurence Rassel. ミッドタウン120ブルーズの公式ホームページ(サウンドフィアル入り)はコマトンズ・レコーディングスのショップであります。CDリリースのアートワークはこちらにクリック。


 

ミッドタウン120イントロ

 ハウスミュージックは音と言うよりも情況です。

 100枚以上のレコードの中にナレーターが「ハウスとは…?」って言うのを聞くかもしれない。答えはいつも安いメッセージカードに書いてあるような「ライフ、ラブ、ハッピー」ばっかり… ハウスネーションはクラブが不幸から逃れるられるオアシスのようにいうけど、不幸は私達と一緒にある。‥もしあなたのファッション(服装)でクラブに入る事が出来れば、ね。ニューヨークに住んでいた時のある出来事を思い出す。有名なロフトというクラブに入れてもらえなかったことがあった。まさに入口で入場を断られているその時、中から私の(作曲した)レコードがかかっているのがきこえた。嘘じゃない。

 あなたが一時的に逃れようとした物がなにか忘れないで。結局、ハウス・シーンができたのも、ここにあなたがきたのも、逃れたい何かがさせたことだから。ハウスは普遍的じゃない。ハウスは超限定的な物。例えばイーストジャージー、イーストビレッジ、ウエストビレッジ、ブルックリン… その場所だけにあるサウンドとビートとか。当時のニューヨーク・ダンスフロア自体の音について言うと、今「クラシック」と呼ばれる曲がかかるのを時々聴いたけど、すべてのクラブでかけられていたほとんどの曲はクソなメジャーレーベルのボーカル曲ばっかりだった。他の人があなたになんて言ったかなんて知らない。その上、ニューヨークのディープハウスはミニマル、ミドルテンポインストロメンタルとして始まったかもしれないけど、レコード会社のディストリビュター達がもっと売れやすいボーカルハウスを要求し始め、そのうち「ストリクトリー・リズム」(「リズムだけ/ボーカル無し」の意味)というレーベルでさえ、ボーカルばっかりの曲を次から次へとリリースして自らの名前にさえ背いた。ヨーロッパの人のほとんどは、まだ「ディープハウス」が下手な、ハイエナジーの、ヴォーカルありの音楽を意味すると思ってる。

 それならば、ニューヨーク・ハウス・サウンドは何だったのか。ハウスミュージックは音と言うよりも情況だった。多くのDJ(自分のようなDJ)は名も無いクラブの名も無い人々、誰も聴かない、お金も払われない、ものだった。シルヴェスターの歌詞の中に「誰でもスターである」っていう言葉も「何も持っていない私」っていう言葉もあるけど、現実は後の方。

 20年経って、メージャーディストリビューションは私たちに「クラシックハウス」を与えている。ハリウッドが作ったベトナム戦争の映画のサウンドトラックから 「クラシック・ロック」を与えたのと同じ方法で… ディープハウスが出現した背景が忘れられていく:セックスとジェンダーのアイデンティティー崩壊、トランズジェンダー娼婦、闇ホルモン剤市場、麻薬とアルコール中毒、孤独、人種差別、HIV、ACT-UP(エイズ解放連合)、トンキンズ・スクエアー公園の暴動、警察の蛮行、ゲイ・バッシング、低賃金、失業、検閲… すべて毎分120のテンポで。

 これはミッドタウン120ブルーズです。

トランズジェンダー舞踏会(マドンナ・フリー・ゾーン)

 マドンナがヒットソング「ヴォーグ」をリリースした時、それがトランズジェンダー舞踏会の終わった事を告げた。ヴォーグという踊り方は特にクイアー、トランズジェンダー、ヒスパニックとアメリカ系黒人の間にあった独特な現象だったけど、彼女の曲の中の歌詞「あなたが少年であろうと少女であろうと、あなたが黒人であろうと白人であろうと、全く関係ない」は、そのヴォーグという現象に特有の意味と背景を消してしまった。その曲からマドンナはお金をどんどん貰っていた、一方、彼女にヴォーグを教えたそのニューハーフはクラブでわたしの前に座っていた… 薬の禁断症状を示して、鬱々と、無一文で。だから誰かが私のDJ中に「ヴォーグ」とか別のマドンナの曲をリクエストしたら、わたしは「いいえ、ここはマドンナ禁止地帯です!わたしがDJをしている限り、情況が無視され、企業化され、具象化され、中和され、自由主義化され、無性化され、よりジェンダー化された、このダンスフロアにある現実をポップバージョンにしてしまった曲でヴォーグする事は認めない!」と答えた。

グランドセントラル駅

 1986年、18歳の時に、電車で72時間かけて、ミズーリ州からミッドタウンマンハッタンにあるグランドセントラル駅に着きました。人生はそれまで辛かった。毎日毎日、性と性別の為に悩まされました。でもニューヨークは全く異なってはいませんでした。ただ、隔離されたわたしが、自分のように隔離された別の人を見ただけでした。隔離されたままの私たちが出会った場所の一つはダンスフロアでした。ミッドタウンのクラブが一番寂くかつ変態的でした。わたしはそこでDJしました… Sally's II とか Club 59 など… 90年代、ディズニーが42丁目の土地を買い、ミッドタウンのトランズジェンダー達を追い出しました。その隔離された人々のコミュニティーがばらばらになりました。皆が別の市、別の州、別の国へ引っ越していきました。

 隔離されたまま、ずっと…