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ラヴボム/愛の爆弾
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1. お帰りなさい(私達は時間に置いてきぼりにされた)
1. お帰りなさい(私達は時間に置いてきぼりにされた) えーっと どうも みんな…… 説明する必要はない(……私は) ……私達は時間に置いてきぼりにされた 2. 共感と同情の狭間にあるものは時間(アパルトヘイト) ANCラジオ放送開始:こちらは自由ラジオ、アフリカ民族議会の声、時の試練を経た南アフリカの革命運動だ。迫害者からの圧力を取り去ろうする人々の戦いの先頭に立ち、最前線で戦う民衆の中から生まれた。アフリカ大陸で行なわれている解放のための戦いから生まれた産物である。 ANC スポークスマン:我々にとって、自らの行動の推移は非常に明快だ。我々は反撃するのだ。裏切り者や操り人形らが取った妥協への道は、我々の欲するところではない。降服と従属も、我々の欲するところではない。すべて我々とは無関係だ。我々にあるのはたった一つの道。道は一つしかない。それは容赦のない戦闘の道。自己犠牲の道。戦争と栄光の道。今日の現実は、何年にも渡って起き続けたことだ。我々は、プレトリア警察という冷血な強盗殺人集団に殺され続けてきた。高値を維持するために食物が破壊され続け、我々の子供達は栄養失調で死んだ。我々が飢餓で死にゆく様を横目に、この国の富はすべて少数派の白人の手に渡り、外国人も含め、この国が豊かな国だと思い込もうとした。奴らは我々を、様々なやり方で抹殺してきた。肉体の抹殺だけでなく、奴らの下等な教育によって、我々の魂までも抹殺してきた。我々の民衆の反発力、降服の拒絶のおかげで、今日でも国内で戦いが勃発している。解放への戦いは続き、日々熾烈になってきている。今度は我々が武器を手にし、少数派の白人政権にしっぺ返しする番だ。我々は犬死はしない。道連れを見つけてやる。敵の反動的な暴力に、我々は革命の暴力で対抗する。武器は白人の家にある。どの白人の家にも、我々を攻撃するための武器が一つ二つ必ずどこかに隠されている。我々の母親は奴らの台所で働いている。我々は奴らの庭で働いている。奴らの家にある武器を慎重に探すために、出掛けようではないか。今となっては生きるか死ぬかだ。敵を攻撃するために、武器を見つけようではないか。都市部には武器を売っている猟銃店がある。当然のことながら、そこには複雑なセキュリティー・システムが入っている。しかし、そこでも我々の同胞が働いている。そのセキュリティー・システムを研究し、解除方法を覚え、武器を手に入れるための夜襲に備えよ。一人で夜警している警察官は標的となる。奴の武器を奪うために抹殺するのだ。郊外にポツンとある警察署はすべて、我々の武器調達を可能にするチャンスの場所だ。たとえ始まりは一丁の銃だとしても、それを使えばもっと多くの武器を手に入れられる。我々は攻撃の仕方、安全な退却の仕方などの戦法を学ばなければらならい。我々の居住区を巡回する装甲車とパトカーの待ち伏せの仕方を学ばなければならない。殺傷能力の高い自家製爆弾の作り方を学ばなければならない。工場も破壊行動の対象となる。生きているうちの勝利に向かって進め。我々に力を。 愛とは……思い留まることを未だ知らぬ同情、テロ目的の同盟の力量に対する未遂に終わる否定。 3. SDII サミー・デイヴィス・ジュニア(以下SDII):私は懇願する。私のことを知っていて、私が何か話をしたがっていると感じている黒人のブラザーやシスターがここに一人でもいるのなら、お願いだから感情を抑えてくれ。この男の功績を冒涜してはいけない……。 チャールズ・クラルト(以下CK):エンターテイナーのサミー・デイヴィス・ジュニアです。マーティン・ルーサー・キング牧師の殺害を知り、ショックと怒りに突き動かされたニグロが全土で暴徒と化し、略奪行為を行なっている最中、彼は人々に冷静さを取り戻すように訴えていました。 SDII:わかっているよ、みんな。そうさ、みんな怒っている、怒りに震えている。でも今はこの怒りを抑えて、白人達が我々と同じ気持ちになるか、様子を見てみようじゃないか。 CK:しかし、前年に起きた大規模なニグロ暴動の原因を調査した大統領依託を受けた委員会によると、「白人」はそうならなかったし、なる予定もなかった。 アフリカ系アメリカ人委員会スポークスマン:白人団体がゲットーを生み出し、白人団体がゲットーを存続させ、白人社会がゲットーを容赦していることに我々は気付いた。そして黒人差別の証拠、黒人活動家による先導的な言動も発見したが、暴動を招いた本当の要因は何より我々を白人差別へと導いたのだ……。 愛とは……友愛、人種差別によって隔離された領域へのアクセスを可能ならしめるパスワードの交換。 4. SD サラ(以下S):コンチワッ! 父(以下D):おやおや、大きな声だね。優しく言えるかな? S:こんにちは…… D:君は誰かな? S:私はサラ。 D:サラっていうんだ? S:うん、そう。 D:韓国生まれなの? S:そっ、で、今はわた……えーっと……わたしは、アメリカ人。 D:よかったね。 S:ねぇ、どうしてお父さんは…… 1976年頃に録音された父と妹サラ(3、4歳ほど)のこの短いやりとりは、この会話が収録されている90分テープの唯一の録音物だ。会話の主人公二人と私の間にあるつながりのせいで、二人が交わしているセリフに特別な思い入れを感じてしまうのだが、それでも私はこれは幼年期に文化的なアイデンティティーの刷込みが行なわれることを証明する興味深い記録の一つと捉えている。当時サラは「赤ちゃん言葉」と「ブロークン・イングリッシュ」がない交ぜになった言葉を話しており、彼女の一瞬の沈黙は言語の発展途上の証しというよりも、文化的位置付けの強要に対する葛藤の証しのように聞こえてしまう。 愛とは……自身も不安を感じつつ、(少しばかり反抗的な論争を伴う)内面化の宣言を勝手に公言し、それによって拒絶されることに、(適切であることに加えて)他者である所以を求めること。 ……もしくは、社会的相違の認知を、支配的なアメリカ文化のヘゲモニーへの誇りをもった肯定へと、常に回帰するように操作してしまうアメリカ的な「るつぼ」イデオロギーなのかもしれない。 5. ラブボム 私に対してしたことが、私のような人間と一緒にいることで許されることが、彼等は気に入っていた……Love ……肌が生暖かさを感じた、厚みがあってネバネバしていた……彼等の顔はいつも笑顔だった……Love ……その頃メディアが、HIVがゲイ男性を席巻し始めたと報じて、何故か知らないけど「エイズバケツ」という名前をもらった。彼等は私に唾(つば)を吐きかけた、大抵は噛みタバコの汁が混じった唾だった。吐き気がするほど汚らしかった。いつも彼等が笑みを浮かべているのが見えた。私に対してしたことが、私のような人間と一緒にいることで許されることが、彼等は気に入っていた。 奇妙なことはニューヨークに引っ越してからだった。夏になると、窓にマウントされたエアコンの室外機から落ちてくる水の雫を感じることがあった。雫が私の顔に当たった途端に、身体に染み込んだ条件反射が、出現したのだった……Love……つまり身体が一瞬痙攣するか、避けようとするかの。ちょうど、奴らが唾を吐きかけるのを避けようとした若い頃のように。 雫は小型爆弾が降り注ぐように私の頭上に落ちてきて、それを受け止めるエイズバケツへと私を揺り戻したんだ。 6. Sintesi Musicale Del Linciaggio Futurista (未来派の私的制裁の音楽的統合) 南部の木々に 奇妙な果実が実っている 葉には血が 根にも血が 南部のそよ風に 黒い身体がそよいでいる ポプラの木々にぶら下がる 奇妙な果実 勇ましい南部の 牧歌的な風景 彼等 目は突き出し 口は歪んでいる マグノリアの芳しさ 清潔で新鮮 そして唐突に 肉の焼ける臭いが 召しませ、この果実 カラスが餌にし 雨が ふやけさせ 風が しゃぶり 太陽が 腐らせ 葉が 朽ちて落ちるための 召しませ 奇妙で苦いこの作物を (『Strange Fruit』 L. アレン著) 「賢明さという恐ろしい殻を突き破り、大きく開けられ、ねじ曲がった風の口に誇りで熟した果実のように、我が身を放り込むのだ! 未知のものへ我が身を一つ残らず捧げよう。やけっぱちなのではない。世の不条理という深い井戸を満たすためだけに!」 (『The Founding And Manifesto Of Futurism 1909』/ 1909年2月20日付けル・フィガロ紙 フィリッポ・トッマソ・マリネッティ著) 私の故郷、ミズーリ州スプリングフィールドの広場に信心深い白人の下層民が駆け付けたのは1906年の聖金曜日、復活祭の前の金曜日で、イエス・キリストがはりつけにされたことを記念する教会の祭日、のことだった。彼等が魅入っていたのは、地元刑務所の容疑者収監所からゴットフライド・タワーの足下に引きずり出された3人の黒人だった。このタワーは1908年に姿を消したのだが、聞いた話によると、このタワーは天辺に電色で飾られた自由の女神のレプリカがあった鉄筋製だったらしい。 忍耐と愛に溢れた注意深さで、彼等は高いやぐらと鉄の引っ掛け鉤を準備した。 (F.T. マリネッティ) 広場に隣接した営業中のラインズ・ミュージック店に、下層民の男の一群が入ってきた。彼等は、多分に命令口調だったと思われるが、店の経営者がオーク材のピアノ梱包用の枠箱を店の裏から動かしてもいいという許可をもらったと言った。これは1980年代に私の母親がラインズ家の一人から口伝えで聞いたものである。枠箱は解体され、板状になったオーク材をタワーの鉄筋に並べて絞首刑台が完成した。3人の黒人はリンチを受け、その後タワーに火が放たれ、彼等の身体は焼かれ、分断された。
未来派の宣言書 危険という名の愛を、力と恐いもの知らずの習性を、敢えて謳う。 勇気、大胆さ、そして不快さが、我々の詩の重要な要素とならんことを。 ‥‥ 攻撃的な行動を敢えて誉め讃える、熱に浮かされた不眠も、……死の跳躍も、殴打と平手打ちも。 …… 闘争の中以外に美しさは存在せず。攻撃的な性格を欠く作品は傑作にはなり得ず。詩は未知の権力に対する暴力的な攻撃と看做されるべし、それらを服従させ人間の足下に平伏させるために。 …… 我々は世界で唯一の衛生である戦争を、軍国主義を、愛国主義を、自由の提供者の破壊的な振る舞いを、死に値する美しい考えを、女性蔑視を讃える。 我々は……論理主義、フェミニズム、すべてのご都合主義的な卑劣さと功利論的な臆病さと戦う。 我々は謳う、仕事、喜び、暴動で興奮を覚える偉大な民衆のことを。 …… 芸術とは、実のところ、暴力、冷酷さ、不正以外の何ものにもあらず。 (F.T. マリネッティ) いや、20世紀直前の世紀末に合衆国南部の田舎町で起きた事件と、イタリアで台頭し始めた未来派の比較を伊達や粋狂でやっているのではない。両者とも両地域にあった時代遅れの偏狭が元凶なのだ。私は生を芸術で模倣したい訳でも、その逆をしたい訳でもない……ただ、音楽市場という領域の中で同じことをする見込みを問題にしているだけである。 アメリカで起きた3人のアフリカ系アメリカ人に対するリンチと、未来派の音楽作品にある、様々な抽象概念の間の相互関係を見い出そうとすることには、物事を過度に単純化する志向が介入する危険がある。しかし、ピアノの枠箱の板の端に人をのせて行なった殺人や、引き摺られる板の音や、当時の状況に不釣り合いな事件へと発展するスケール(「音域」という意味でも「渡し板」という意味でも)の爆発を導くために引っ張られて軋むロープの音など、偶然の一致という中立性を打ち砕く必要を感じざるを得ない。音楽的なつながりですなわち美意識に支えられた文化的産業の一つとしてピアノの枠箱を見た時、枠箱の板は殺人を行なう装置を形作った材料としての存在と、抽象化された死、もしくは便宜的に忘れ去られた死を具体化する存在として、つながるのである。 使い易く改良された楽器を未来派が公然と非難する一方で、ピアノだけは未来派の作曲の中心をなすものとして残された。私は思う、マリエッティと彼のお仲間は1906年にスプリングフィールドで起きたピアノを使った究極の出来事それこそ『未来派の私的制裁の音楽的統合』であろうを知っていたのだろうか。彼は1909年のミッションが、既に時代遅れだと捉えられることを予想しただろうか。創造的な身振りこれは現在でも相変わらず多くのミュージシャンやアーティストたちの情熱だと、巧みに処刑が実行された瞬間の梁からぶら下がった死にゆく身体と、それに反射する下層民が怒りに任せて振り回す腕の不条理な身振りの間にある相互関係を、空想したことがあったのだろうか? 彼等は我々に向かってやってくる、我々の後継者に向かって、遠いところからやってくる、あらゆる方角から、最初の歌の高速にして、的を得た拍子に合わせて踊りながら、捕食者の曲がった爪をさらに曲げながら、朽ちてゆく我々の心が発する強烈な悪臭を、学府の扉の前で犬のように嗅ぎ回りながら、それは学問上のカタコンベが約束されているであろう。 ……うずくまった我々を彼等は目にするだろう、我々のイメージから火が取り除かれた時、今日の我々の書物が点す幽かな炎に手をかざして暖めている瞬間を。 彼等は我々の周りで嵐を巻き起こすだろう、軽蔑と苦悩で息も絶え絶えに、そして彼等はみな、我々の誇り高き大胆さに激しい怒りを感じながら、我々を殺すべく衝突してくるだろう、執念深ければ深いほど、彼等の心は、我々に対する愛と賞賛でますます酔いしれてしまう憎しみに突き動かされて。 強さと正気さで、不正は彼等の目の前で燦然と打ち砕かれるであろう。 (F.T. マリネッティ) 未来派とファシズムの関連性を過剰に単純化するのは、簡単なことだ。それが、事実上の力関係を欠いた未来派の単なるそぶりを、学芸歴史家が熱心に保存しているだけだとしても、その逆だとしても。今日、ファシズムという言葉自体は、寛大な民主主義世界から生まれた間違った道徳原理で、負荷がかかり過ぎている。ファシズムを永遠に断罪してしまった民主主義世界は間違いであり、事実、ファシズムに対する現代の批判のほとんどが左翼や共産主義グループから発せられたもので、民主主義世界によって長い間葬り去られていたのである(このように葬り去られた原因の一部には、共産主義者もファシストも、もともとは労働者階級の支援を得るために競合したことが挙げられ、そのためブルジョアが中核をなす民主主義世界では、共産主義者が行なうアンチ・ファシストの宣伝活動は、単純に労働者階級を二分にするに過ぎないと思われていた。後にファシストの州が台頭した後ですら、彼等の危険性は民主主義社会では見過ごされていた。というもの、彼等は個人にも企業にも収益を上げる、この上なく素晴らしい機会の数々を提供したからである。もちろん、伝統的に共産主義的な地域では民族浄化の歴史は今日でも続いている。忘れてならないのが、ほぼ成功をおさめたアメリカ原住民の大量虐殺、1921年5月31日オクラホマ州タルサで起きた民族浄化誰しも大虐殺が可能な偽善という同じ海に浮かんでいる)。 マリネッティやその他が、暴力というアイディアをよりブルジョア的で抽象的な遊びにすることを好んだこと、そのためムッソリーニ政権下でイタリア芸術として公認された頃には、左翼の人民主義者との絆を本質的に断ち切ってしまっていたことによって、未来派とファシズムの関連性は切れ切れになってしまっている。しかし、未来派主義者を、暴力なしの哲学的実践を約束しただけの単なる怠け者と決めつけるのもまた間違いである。例えば、マリネッティはイタリアのリビア侵攻を支持したことで有名だし、マリネッティ、ボッチオーニ、サンティエリア、シロニは全員1915年のガララーテ(イタリア)でボランティアとして参戦した。 神話と神秘的な理想はついに挫折を迎えた。我々はもうすぐ目撃するだろう……天使達の初めての戦いを! (F.T. マリネッティ) リンチの後、恐怖に支配されたスプリングフィールドの黒人コミュニティーでは、3日間家の外へ誰一人、一歩も出なかった。その直後、このオザークス地域からセントルイスやカンザス・シティーなどの北の都市へ向かって黒人達が一斉に町を脱出した(黒人版キリストの復活というイメージだろうか。この3日間というよく物語に登場する日数が、果たして実際の史実に則ったものなのか、3日後に復活することを全住民が知っているキリストのはりつけを記念した日の殉職、その後に北部へ大移動するというこの事件の流れの、キリスト教的色彩の強さによって、歴史的な物語には付きものの詩的表現が加味されたのか、疑問が残るところである。しかし、イースターサンディーの後の静けさが、脱出の道を開いた可能性はある)。 大移動はもともとは自己の保存のためであったが、反抗とボイコットという相乗効果も生み出した。リンチ前のスプリングフィールドには黒人が経営する活発なビジネス・コミュニティーがあり、町一番の雑貨店もそこに含まれていた。黒人コミュニティーが当時の南部の偏狭な病的気質に曝されていたことは明らかだが、そのようなコミュニティーが従属的で、貧乏で、無秩序だと決めつけるのは、間違った特徴付けと言えるだろう。事実、黒人・白人両コミュニティーのメンバーが、アンチ・リンチのキャンペーンやその他の市民権のキャンペーンに参加していた。1906年の事件後、ほとんど黒人コミュニティーが消失したスプリングフィールドは、町の表情が劇的に変わってしまった。人種偏見に凝り固まった偏狭者たちは平常を取り戻し、彼等の思惑通りの変化だと宣伝したことは想像に難くない。その後40年くらいの間、地元のフェアやお祭りで商人達はブリキにある刻印を押した厄よけのお守りを作った。その刻印とは「広場に3人の黒んぼを吊せ、1906年」 今日、少数の流入があったにもかかわらず、スプリングフィールドの黒人コミュニティーは、町の大きさに不釣り合いなほど小さく、地理的にも町の北西部に隔離されている。 死、飼い馴らされ、曲がるたびに出会った……濁水の中から私にベルベットの愛撫のような目を向ける……自分のしっぽに食らいつこうとする犬の狂乱さで車をスピンさせた、そこに、突然、二人のサイクリスト……私の道を塞ぐちくしょー、痛い!……少し停まったら、うんざりしたことに、車輪が中に浮いた格好で回転して溝にはまってしまった……ああ、母なる溝、ほとんど泥水でいっぱいになっているではないか!……私はあなたの栄養いっぱいの泥を飲み込んでしまった;そしてスーダン人看護婦の豊満な黒い胸を思い出した……私が横転し、破れ、汚れて、臭い、車の下から出た時、喜びの白く熱いアイロンが、芳しく私の心を通り過ぎるのを感じた! (F.T. マリネッティ) (黒人風の顔色をした贖罪のイメージか?) 町に残った黒人コミュニティーがリンチのことを覚えている反面、白人のほとんどが最終的にこの事件を忘れてしまった。しかし、2002年8月3日、広場の南東部に既にあった、書物を象った歴史標識に金属のプレートが備え付けられた。そこには「1906年4月14日、ホラス B. ダンカン、フレッド・コカー、ウィル・アレンが、裁判なしにリンチされた」と記されている。歴史標識を訂正するという市議会の決定は、市議会議員デニー・ホエイン(黒人男性)によって密やかに準備され、1990年代半ばから同じような要請を出しつつもずっと拒否され続けてきた町の全国黒人地位向上協会(NAACP)から、一人の関係者も入れずに行なわれた。地元の新聞雑誌の反応は概ね好意的だったが、この事件に関する話し合いは、「過去を振り返ろう」そして「未来に向かって顔を上げよう」(未来派が理想としたものの変則的な盗用か?)のような言葉に代表される白人コミュニティーの告白と償いという非常に安全な範囲内に納められてしまった。ホエイン自身も「この微妙な問題を寝かしつけたら、みんなの生活が向上するだろう」という言葉で、戦略的に「忘れる」ための記念碑を意図したことを述べていた。(ほとんどの政府主導型芸術では、後の評価はこのようになる「我々のイメージの経過から(未来の本が)火を取り除いた時、今日の我々の本が点すであろう幽かな炎」とマリネッティも言ったように、時間の経過とともにインパクトが減るように計算されている)。 古傷を広げられたくないという思いから、黒人・白人両方のコミュニティーにこの記念プレートを承認しない人がいた。私が目にしたこと、それに、スプリングフィールドで私自身が経験した暴力を考えると、これらの奇妙な果実の種は、相変わらず散乱したままだと思わざるを得ない。私が思うに、黒人の古傷を広げられたくないという思いは、現在の傷にも塩を塗る恐怖とつながっているだろうし、その点ではもっともなことだと言えよう。黒人コミュニティーの他のメンバーの中には、3人の黒人男性が無罪だったことを明言しないプレートでは充分ではない、と感じた人もいた。その他に、3人個別の記念碑を一堂に並べて作ることを要求した人もいた。このアイディアに私も賛成だ。それというのも、このような悲劇を記念碑に加えることで、強烈なイデオロギー的弱点が露わになる訳だから、事件を記念することは、町の成長へつながるだろうからである。これによってあらゆる種類の邪な人種差別主義者の解釈にドアが開かれ……このプレートはある時点で数十年前の金属のお守りに押してあった刻印の文字を思い起こさせ、「広場に3人の黒んぼを吊るせ」という言葉が、マリネッティ自身の唇から受け継がれた詩として受け入れられるまでは、洗練され、美化されることだろう。 悲しいかな、我々に忌わしい言葉を再び言う人は誰しもが! (F.T. マリネッティ) 「Sintesi Musicale Del Linciaggio Futurista(未来派の私的制裁の音楽的統合)」はマリネッティの声(イタリア語)を録音したものを使っており、「Definizione Di Futurismo (未来派の定義)」、「La Battaglia de Adrianopoli (アドリアノポリの戦い)」、「Sintesi Musicali Futuriste (未来派の音楽的統合)」から抜粋したものだ。同様にピアノの異形は、フレンチェスコ・バリーラ・プラテーラのピアノ曲「Giorno Di Festa(祭りの日)」とL. アレンの「Strange Fruit」から。使われた様々なデジタル・プロセスの中でも、「Giorno Di Festa」と「Strange Fruit」にはクリストファー・ペンローズが開発した「Codepend 相互依存」というプロセスが使われており、それぞれのファイルが総合的なアウトプット・オーディオ・ファイルに貢献している(独特のコントローラーや、ターゲット・ファイルが存在するヴォコーディングや、それに類似するプロセスと対称を成す)。その後、アウトプットのピアノ・サウンドは編集され、マリネッティの声を録音したものと一緒に再び「相互依存」され、その結果として、彼のオリジナルの声と録音・編集された音声とかミックスされたものが、ここにある。ある一定のところを過ぎると、マリネッティの声は、カット技術によって「Hung Three Niggers In The Square(英語)」のフレーズを形成するように、個々の発音がアレンジし直されている。 我々の当てにならない知性が、我々は祖先のリバイバルであり、延長だと教える、たぶんそうだ!……そうであったらどんなにいいか! (F.T. マリネッティ) スプリングフィールドの歴史標識にプレートが加えられた同じ週、イタリアのカグリアリという町で、匿名の文化機関によって操作されている地元の若手ファシスト同盟が、未来派を讃える会合を開いた。会場の外壁に貼られたものは、マリネッティの「未来派の宣言書」だった。
7. 信号が錯綜するプロパガンダ(有りがちなつまらないラヴ・ソング) チェコのラジオ局のアナウンサー:こちらはチェコスロバキアの合法自由局……Love……ルーマニア、ユーゴスラビアにあるラジオ局全てに伝えます、チェコスロバキア社会主義共和国の現状についての、情報を流してください。世界中に、真実を伝えて下さい。こちらはチェコスロバキア社会主義共和国の人民……。 ラジオ・モスクワ:……Love……時間を無駄にせず、確実に、意図を持って行動することが重要だった。チェコスロバキアにおける社会主義の防衛が、チェコスロバキア国民よりも優先される。つまり、これは社会主義国家すべてのコミュニティーの防衛なのだ。この理由により、我々はチェコスロバキア国民を助け、社会主義を保護する。リーダーシップの(ディヴィジョニスト的?)要素の不実が、チェコスロバキアの社会主義を危険に曝したのだった。 チェコのアナウンサー:……それは間違いだ。 愛とは……自己正当化されたプライバシーの、内側からの侵害、自己正当化されたプライバシーの、外側からの承認。隣人の壁から漏れ聞こえる、救いを求める、拾われることのない声。 8. 平和と友情と連帯の我が歌 葛藤、力、戦争、人種差別、爆弾、戦争、戦争、戦争、殺人、スコア保持、戦争、爆弾。 憧れ、疲れて悲しい、歴史からなくなることのない戦争の悲劇。 9. 人類学的干渉主義 ラブソングはどれも人類学の作品。物理的・精神的な特徴、分類、習慣など人間にまつわる分析の一つ。そして、ほとんどの人類学の調査がそうであるように、ラブソングの典型的な書き始めは、終わりを望むところから結論、相違の要素、男女の違い等など。他人に対する我々の偏見の、他人の手による考証と確認を通して、社会における自分の特別パターンが肯定される時、聞き手として、そういう歌を、心のうちに抱え込む。至福の外部的な根源を探ったり、もしくは自分の心にある拷問を探ったりしながら。 恋人達の歌を作るなら、もっと干渉主義者的アプローチで行なうことを、ぜひお勧めしたい。道端に、「普遍性」と「固体性」の両方を配置しよう(恐れることはない、君の客観性はそのままだから)。現場に出動するんだ。恋人達を観察して、記録を取るんだ。現場での自分も観察して、記録するんだ(覚えておいて、人のいいの自然主義者ですら、野生の音と画像を記録している時には、時として「餌まきの段階」を設定するし、彼・彼女以外のものがその餌に釣られるんだから)。 その後で、編集ラボに戻り、自分の心の物語りを構築するために、発見したものをふるいにかけ始める。この編集室で、君は気付く、還元主義を辱める以上の場所まで、到達するラブソングなんてないのではないか、と。どれもこれもヒステリーをなだめるための、余剰な構築物であり、我々の感覚をなだめるための、委任された侮辱なのだ。もちろん、ラブソングの、魅惑的な普遍性のイメージは、精神を侵略する暴力の、最も有効な行為である。 10. 愛の爆弾(共感と同情の狭間にあるものは時間) 女1 「わかりました……」 女1 「あっ、そうですか。はい、わかりました。」 男 「それはね、大きな乳房いうのが印象に残っとる。 大きな乳房を出して……」 女1 「赤ちゃんを……」 男 「赤ちゃんは、抱いとるということよりか、 赤ちゃんを抱いとったんだろうけど……」 女1 「抱え込んどるいうことですよね?」 男 「乳房、食らいついて死んどるわけよ。」 女1 「あっ、そうですか。」 男 「くっついて死んどる、そこに……」 女1 「わかりました。おじいちゃん、わかりました。 わかりました、おじいちゃん。はい、わかりました。 かわいそうねぇ。ねぇ、かわいそうですね。 かわいそうね。 ねぇ、かわいそうですね。 かわいそうね。」 女2 「たくさんの人です。 みんな傷ついた人。ぜんぶ裸です。 血が着物のような人もいました。 大きいな声で、一生懸命に、おらんで泣いて行きます。 『私の兄の顏を見てやってくれー』 『私の兄の顔を見てやってくれー』と言うのです。 兄と云うのは五年生ぐらいで、 その顔と云うのはめちゃくちゃで、目もない。鼻もない。」 女1 「分かりました……」 支離滅裂さ加減さを共有する、生存者同士の共感は、我々の同情に痕を残す。道徳観歴史に歪められた時は、過去の出来事の上に、論理を刻み付ける。最後の生存者がいなくなるまでは、彼等の経験から我々が学ぼうとする教訓が、明確になることはない。彼等の死をもってして、社会が共有する懸念が、永遠に過去へむかってのび、時間の観念を失った目的意識と、癒着する。村八分、否定、恐怖、無視の対象にとしての生存者を、忘れるには彼等の死しかない。我々は、自分達の理解の支離滅裂さを共有しながら、真の生存者になるだろう。我々は、ホロコースト(レイプ、拷問、虐殺、飢餓など)の生存者に対して、永遠の愛を感じる、邪な感覚で溢れるだろう。そして、はからずも、誓ってしまったはずなのに、既に忘れてしまっている事柄を決して繰り返さないことを、永遠に自分に懇願するだろう。 愛とは……距離によって弱まった同情。 11. 愛の爆弾の愛のテーマ ……暴力はいらない…… 12. お帰りなさい(反復) 時……昨日死んだ。 (F.T. マリネッティ) 13. ラヴボムのメイン・テーマ 愛とは……ヒステリーをなだめるための、余剰な構築物であり、我々の感覚をなだめるための、委任された侮辱なのだ。ラブソングの、魅惑的な普遍性のイメージは、文化を侵略する暴力の、最も有効な行為である。断絶のあまのじゃくな鏡という訳だ。 | |
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